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いまさら人には聞けない大人の常識 ~番外編~
何というかー、はてさーて、そもそもー、大体ぃー…、“大人の常識”ってなんだよゴルァ。
この間からこのフレーズに拘っているけれども、“大人の常識”ってフレーズの醸すニュアンスというものがどうにも不快で何だかとっても、無性に腹が立ってくるのであります。サー。
だってサー、そうではありませんこと?…そうではありませんか?…そうじゃなくって?…そうでしょ?…そうじゃね?…葬じゃね。世界違う。坊主去れ。
このフレーズにピッタリくる文字を親切ご丁寧に補完してみるとよく判るかもしれない。いえいえどうもご丁寧にありがとう。

“大人の常識”(フフーン、子ども(18歳未満)はお家に帰りましょう。)
とか、

“大人の常識”(察せよ。空気読め。暗黙の了解というものを!)
とか、

なんつーか高飛車で容赦が無くて、何より“愛”って奴が微塵も感じられんのですよ。そらもう、俺に対する悪意というか憎悪というか恋しさあまって憎さ百倍みたいな。ヒシヒシ。そんなお前らみたいなセレブにこの俺の気持ちなんてわかってたまるものか。世界違う。セレブ去れ。
“大人の常識”って奴は、そんな絶望的なまでの断絶を持って俺という人間を拒絶してるとしか思えないんですよ。
俺なんか悪い事しちゃったのかな。“大人の常識”子ちゃんに嫌われちゃってるのかな。ぐすん。

もうどうでもいい。…もうどうでもよくね?…うん、もうどうでもええ。…ええのんか?これでええのんか?

というか、このブログで書くような事でもない様な気がしてきたので無理やりそっち方面(デムパ方面)にベクトルを曲げてみようと小一時間。取り敢えず横文字にでもしてみるか。この舶来能無しスットコドッコイが。世界違う。セレブ去れ。

大人  → Adult
常識  →Common sense
“大人の常識” → Adult common sense

もう既にこの時点でウハウハです。イーヤッホウ! なんといってもキーワードは“Adult”です。
Adult only(Website)
Adult Video
Adult Game

ほーら、なんだか、このブログで絡めそうな気がしませんこと?…気がしてきませんか?…気がしなくって?…気がしない?…気がしね?…飢餓死ね。

愛に飢えすぎて死ね。愛に飢えすぎるが故死ね。愛に飢えすぎた俺が死ね。愛飢えすぎたついでにお前らも死ね。…嘘ですよ?合言葉は売り言葉に買い言葉。世界違う。セレブ去れ。繰り返す。世界違う。セレブ去れ。

もうなんか、愛も愛欲も性欲も●●愛ちゃんもそんなに違わない気がしてきた。
そうか、そうだね。それが大人の常識というものか。“大人の都合”とも言う。「いい加減大人になれよ。」ってそういうことか。人は良くも悪くも変わっていくものなのだろう?

でもふと思ったのだけれども、本当の大人、真の大人って、些細な事で怒ったりしないものだし、そもそも、アダルトゲームだのアダルトビデオだの必要としないよな。

理性的紳士(理性的淑女)=アダルトジャンル要らず=大人の常識も要らず

あれれ。おかしくありませんこと?…おかしくないですか?…おかしくなくって?…おかしくない?…おかしくね?…犯し苦ね。

OH! NO!
犯すのは犯罪デース。ハンザイデース。バンザイデース。ハラキーリハッピーバースデーっす。世界違う。犯すぞ。セレブ去れ。これ以上は色んな意味で危険だ。あだるとせれぶごーほーむデスヨ?

そんなこんなでやっぱり俺は“大人の常識”を理解するなどできるはずもない、なんと破廉恥で厚顔無恥なガキ一匹狼だったのです。子連れ狼ではないよ。どちらかと言えば“迷える子羊の皮を被ったガキんちょ狼”=負け組み。
そんな愛の無い“大人の常識”なんて(゚⊿゚)イラネ…そんなことより、ちょっとそこ行くセレブさん、同情するより飴をくれ。
# by MIKOSURIHA-N | 2006-11-28 17:51 | 戯言・電波
いまさら人には聞けない大人の常識 ~愛の保健体育編~
そういえばそうなのだが、日本人というか、日本のお茶の間での“ゴールデンタイム・エロネタ・タブー(以後G・E・Tと略す)”という不文律はここ最近特にクローズアップされている“少子化問題”や“高齢化社会”といったものを急速に加速させている要因のひとつではある、とは俺も思う。


~回想シーン~
ここはごく一般的な日本のよくあるお茶の間風景。
家族団らんのひと時に時々テレビで繰り広げられる“ちょいエロ”なコント(ドラマ・映画の濡れ場でも代用可)に雰囲気が一変。急速冷凍スイッチオンで家族の会話がフェイドアウト。一同目線が泳ぎまくって、誰かチャンネル変えてくれとお互い必死にゆんゆんと電波を発してみるが、まるで翼君のドライブシュートに一歩も動けない雑魚キーパーの如くフリーズ&応答なし状態で再起動待機中にならざるを得ないのがこの日本というお箸の国に生まれてよかったと盲信するイエロー人種(モンキー)どもの越えられない壁というわけだ。当然俺もその一人である。
その気まずい雰囲気の中、皆して「ここで俺(私)がチャンネル変えたら意識しまくっているのがバレバレではないか。」とか考えているわけで、その水面下では壮絶なまでのミッションインポッシブルなスパイ大作戦…の様に情報戦が繰り広げられている筈である。結局そこでもジェームスとヒロイン(イーサンとヒロインでも代用可)の一夜限りのベットシーンが想起(妄想)されて照れまくるのが日本男児の本来あるべき姿。原点回帰。さあ、立てよフンドシよ。ついでに中身も立ち上がれ。あるべき姿を取り戻せ。勝ってフンドシ締めなおせ(誤)。
唯一の救いは、最年少の弟(小学生)が、“うんこ”だの“ちん●ん”だの“ちょっとだけよ”だのと大喜びで駆けずり回っている微笑ましい光景がそこにあった事だろうか。急速解凍スイッチオン。約2分間程そのままの姿勢でお待ちいただきたい。

…ラウンドガールが“レンジアップ2分間”の札を持って舞台を通過中…

さて、子どもの純真は時に残酷だ。しかしそんな子どもに罪は無いのだ。責めてはいけない。
ゆめゆめ責め立てようなどと思う無かれ。
もしかしたらその少年はたった独りでも戦局を打開し日本という少子化社会の未来を変えてくれる“ニュータイプ”としての覚醒をはじめているかもしれないのだから。
だいいち、そんな少年(子ども)を責め立てたら“奴”が来るは必定。“ニュータイプがニュータイプとして生まれでる世界”にしたい一心で3倍の速度で奴がくる。きっと来る。多分、奴専用の“赤い”井戸の底から。
それが嫌なら黙って見ているしかないのが“NO”と言えない日本人としての悲しい宿命だ。“身の程をわきまえろ俗物が”と異性に虐められたい日本人としての悲しい宿命とも言える。


とまあ、こんな家庭は要注意だ。どんな家庭だ。俺に聞くな。それは言うなれば、イエロー人種よろしくの黄色信号点滅中といったところである。右左注意して慎重に交差点を進めよ。
あ、そうそう、ウィンカーも忘れるな。お互いニュータイプならば、態々ウィンカー出さなくても、自分でウィンクすればそれで十分に曲がりたい意思を感知して分かってくれる筈だが念の為。
でも俺が軽々しくそんな事を警告しちゃった日には、日本人という奴らは“ウィンク”という単語で勝手に妄想して、スカートが捲くれ上がって何故だかチッカチッカとオレンジ色に光るウィンクしながら慌ててスカートを押さえているデカ尻パツキン美女に見とれてオカマを掘って、前方不注意(安全運転義務違反)で2点をゲットする羽目にあう事だろう。ついでに可能ならばシートベルトで切腹してみるのも潔い武士の一分だろう。
それが嬉しい。2点ゲットできてありがたき幸せ。自分を貫いて切腹できるのならば本望。と言うのであればもう止めはしない。お前の好きにするがいい。ヨキニハカラエ、とも言う。そして俺とお前の間にはもう何も言う事は無いだろう。どっちなんだ。今日の気分はどっち?っていうか、言うのか、言わないのか、はっきりせねば。とも言いたいところだがそれすらどっちでもいい。結局お前が良ければそれでハッピーエンドだ。俺も嬉しい。それで良いではないか。
ハッピーでヒッピーでヒッキーなお前に豊かな山海の幸あれ。取り敢えずお前はこれからカニ食い放題でもいってこい。


…おっと、俺はそんな事を力いっぱい言いたかったわけではない。

そんな絵に描いたような日本的、和風で古風で雅な家柄に生まれついた“G・E・T”な家庭ばかりの日本社会で、少子化、高齢化を少しでも何とかしようと言うのならばお前らも力一杯精の続く限り妄想してみるといい。
そして、オープンソースなちょいエロ社会で愛(愛欲)を叫ぶ事が恥ではない日本実現を、まず思い立ったが吉日と言わんばかりに言いだしっぺが体現すべきだと俺は考える。

そうか。それだよ、それ。
世の中、“ちょいワル(ちょいワルオヤジ)”とか言ってる場合じゃないよ。本当に。
これからの流行はやっぱり“ちょいエロ”。これしかないだろう。
新ジャンルだ。新ジャンル“ちょいエロ(ちょいエロオヤジ)”。それ以外あり得ない。「あり得なくない?」、「あり得なくね?」、「どっちでもよくね?」、何でもいい。言い方はどうでもいい。諸君ももっと本質を見てくれたまえ。
それは兎も角、これからしばらくは俺の事を“ちょいエロオヤジ”と呼んで欲しい。頼む。一生懸命流行らせるからマジ頼む。もういっちょついでに頼む。これで三顧だ。ここまで俺が礼を尽くして頼んだからには天才軍師でも誰でも、当然お前も聞き入れざるを得まい。そいつが俺のルールだぜ?


~仮案(実現プラン)~
少子化社会を救う、性の解放を象徴する新ジャンル“ちょいエロ(ちょいエロオヤジ)”ここに提唱。
雑誌でちょいエロオヤジがもてはやされる時代、とR25辺りで必死に煽って貰う。
あくまでも“セクハラオヤジ”と差別化を図る為の協議会をA内閣指示のもと発足…を提案。
親父倶楽部とも差別化を図る為、“ちょいエロオヤジ”には下戸か禁酒家からしかクラスチェンジできない仕組みにスクエア・エニックスが自社RPGでセッティングしてくれると尚良い。
あくまでも“ちょいエロ”なので最後までタフガイではいられない。前置き長くて本題はミコスリハン。

って、俺は違うっていつも言ってるだろう。…多分。

でももし仮に本当にそうだったとするならば、俺には“ちょいエロオヤジ”になれる素養が無いという事になる。
それでも俺は先の件を自認するわけにはいかないのである。こればっかりは男のプライドとして断じて認めるわけにはいかない。男としての股間…否、沽券に関わる。しかたがない。俺憧れの“ちょいエロオヤジ”という輝く未来は泣く泣く諦めよう。

というわけで“ちょいエロオヤジ”の称号は友人のしん君かチェリーボーイなショボッチ君にでも譲る事にする。
この瞬間に“ちょいエロオヤジ”はセクハラオヤジと同質となり、新ジャンルとして成立する見込みはなくなったのである。

愛の保健体育、今日はここまで。
# by MIKOSURIHA-N | 2006-11-27 17:20 | 戯言・電波
男女の友情+愛=恋愛?
最近電波出しっぱなしでお花畑に飛び立っていたのだが、急にふと我(現実)に返ってみたり。
テーマ自体は今更な感もあるが、ノートパソコンのデータを色々と整理していたら、過去の自分が書き記していた、とあるテキストが目に留まってしばし懐かしむ。
プライベートな部分での事なので全てを晒すわけにはいかないが、今でも少々思うところがあるので今回自分の発言に限って引用してみる事に。ていいますか…そういえばここ、“愛を呪う”ブログだったな…いいのか?これで(笑)。


基本的に、男女という性別差は、付き合いの時間が長くなれば成る程、ごく自然に“恋愛”といわれる状態に昇華される可能性が常にあるわけです。ここに異存はありません。
一方、問題の論点として、“短期的”に見れば男女の友情は成立し、“長期的”に見れば、恋愛に移行して友達という関係に一応の終止符が打たれる可能性が高い。
という主張は一般的に多くされているわけです。
ここで、もう一度よく、物事を分解して考えてみて下さい。
まずは、友達と恋人との違う点と、共通する点。
基本的(原則的)に、友達にしても恋人にしても、『嫌い』という対感情では成立しない。
『好き』であるという感情が結びつける関係である。
友達と恋人に思う『好き』という感情の質。これは違っている、という見方が一般的に成立するが、
それでは、その質の違いとは一体何者(笑)なのか。(ここは客観的な第3者感として書くので僕自身の偏見や印象と同一ではありませんが、一応。)
友達と恋人での『好き』という感情の差分として抽出できるのは、まず第一に性欲に関する要素。
さて、ここで、ひとつ疑問が浮かびますが、これ以外に、友達と恋人とを隔てる『好き』という感情の成分の差を、決定的な何かの違いを見出す事ができるでしょうか?
そうでないと、友達と恋人との違いは『性欲』を抱く対象となり得るか否か、だけになってしまいます。
困ったものです。これでは恋愛という状態がセックスというかエッチに全てを左右されることになってしまうなんて、
納得できる結論でしょうか。と。
他にも「相手の事が気になって仕方が無くて、いつでも一緒に居たいと思う。」とか、「相手を思いやる気持ちに違いが生じる。」とか、色々言いたいことがあるかもしれません。しかし、これらは、程度の大小、距離感の違いはあれど、
どちらにも存在しうる感情で、決定的な差分として抽出できるか、或いは決定的な違いかどうか、を確実に立証する根拠や説明をし辛いことでしょう。


ならば、と、少し視点を変えてみる事にしましょうか。
恋愛と友情とは、取り敢えず性別差は置いておいたとしても、その感情の質としては、かなりの部分(領域)が重複しているのではないか?
と仮定してみます。
一組の仲の良い男女が居たとして、初期のその状態は、“友情”の様な質の『好き』であったとします。
色々と行動を共にしたり、楽しいことや悲しい事があったかどうかは判りませんが、付き合いが長くなっていった時に、
或るキッカケで、お互いが“恋愛”を自覚出来る様な質の『好き』という感情を持ったとします。
この瞬間に、果たして、今までの“友情”と認識していた『好き』という感情は綺麗さっぱり消し飛んでしまうものでしょうか?
よくよく考えてみると、“友情”の『好き』と“恋愛”の『好き』との利害は一致していませんか?
よくよく考えてみても、“友情”の『好き』と“恋愛”の『好き』とに利害の不一致を見出す事が出来るでしょうか?
友達であって、恋人でもある。
恋人であって、友達でもある。
という状態は本当に成立し得ない、『あり得ない状態』なのでしょうか?
もっと言えば、線引きする必要があるのでしょうか?
もちろん長期的に見てしまうと、この『友達で恋人』という、所謂“蜜月”の状態は永遠には続かないかもしれません。
しかし、結婚すら通過点として長期的に見ていった場合、恋愛と友情が排他的で、恋愛になったから結婚した、
『恋愛のみ』の状態の長期的維持力が、友情と両立している状態のライフサイクルとそうそう劇的に変わるもんだろうか。
或るときは、友達としてお互いが楽しい事に興じて、或るときは恋人として支え合って、
という線を引かない“両立”をしているかの様な関係ってあり得ませんかね?



はてさて。これについて、今でも俺は“恋愛とは友情+愛の様な感情”という表現がしっくり来る様に思っているが如何に。
# by MIKOSURIHA-N | 2006-08-11 19:58 | 愛・恋
変身願望と愛妻弁当願望という幸せについて
実は一昨日、“プリングルス”というポテトを食ってそのまま寝てしまったんだが、朝起きて鏡を見たら、“プリングルスおじさん”になっていた。

これはちょっとキュートかもしれんね。と思った。

そこでふと思いついて昨日は“ハートチップル”を食って寝てみた。
今朝起きてまっしぐらに鏡を見に行ったら案の定…顔が“ハート”になっていた。

今日ついに、俺は“愛”になったんだ。

そのまま電車で出勤して皆に自慢したら…俺はみんなに齧られてキレイに完食されてしまった。
アンパンマンの気持ちが少しわかった様な気がした。
# by MIKOSURIHA-N | 2006-07-27 20:43 | 戯言・電波
恋愛RPG症候群
恋愛RPG症候群

★コンセプト
原則恋愛に関する全ての行動、作業等における、効果・結果判定をダイス(サイコロ)の目によって決めることとする。

★基本ルールセット試案

☆進行役・判定係
恋愛マスター(以後LM(Love Master)):1名
プレイヤーキャラクター(以後PC)…男女最低1名ずつ(複数のグループパーティー編成も可)

☆事前設定・作業
最初のシチュエーション・世界背景などはLMが設定し、参加者にあたるPCに事前に予備知識として知らせる事。

☆アタック(告白)
愛の告白についてはPC男女相互に攻撃側・防御側にて『6d3(6面ダイス×3)』の合計値比較にてアタックの成否を判定する。
その際、各PCのステータスを数値化したシートをLMが管理、『告白行為』についてはそのステータス中の『カリスマ値』のプラスマイナス修正と恋愛LVボーナスをダイス合計値に加味して最終的な成否判断をLMが下すこと。

…以後追記(続)

いやいや、なんつーか、こんな恋愛ってやっぱり嫌だ…。orz
# by MIKOSURIHA-N | 2006-07-19 20:21 | 戯言・電波


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